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koohiiko77の日記

感じたこと、伝えたいことを書いていきます。

 ことばは浮かんでは、川へと流れていく

 こんにちは、こーひい子です。みなさん、しるこサンドはご存知ですか?あずきとりんごジャム、はちみつとかが入ったあんが入っている、あのビスケットです。子供の時に食べた方も多いのではないかと思います。わたし、あのお菓子大好きなんです。

 ふと好奇心がわき、しるこサンドを製造・販売している松永製菓さんのHPをチェックしたところ、どうやらビスケットバイキングをやっているお店や、生しるこサンドなるものもあるようです。ただひたすらしるこサンドばかり食べていたわたしの情報弱者っぷりといったら。

 ではでは本題です。

 

 「羊どろぼう。」 ー糸井重里

 

 糸井重里さんが運営している、ほぼ日刊イトイ新聞を知っていますか?

 ほぼ日刊イトイ新聞は、ほぼ毎日糸井重里さんが更新するエッセイのようなものからコラム、インタビュー記事が見られ、ほぼ日手帳、ジャムや洋服などの通信販売もあるWebサイトです。

 この「羊どろぼう」は、糸井重里さんがほぼ日に上げた原稿とTwitterのつぶやきの中から、厳選されたことばが載っている本です。わたしはこの本をほぼ日が運営している店舗「TOBICHI」で買いました。

 

  素敵だと感じたことばをいくつか紹介します。

 

すばらしいものというのは、

それに出合った人の頭をくらくらさせます。

見知っているものと、見知らぬものが、

まだら状に入り組んでいて、

「わかるようでわからぬもの」であり、

「わからぬようでわかるもの」になっているので、見ている人のこころが安定できないのです。 

  

 このことばにまずくらっとします。

 ことばを読みながら「分かる、この気持ち」と共感することは簡単です。けれどわたしはすばらしいものを見て驚いた時、どうしてくらくらしたか、自分の力で解明することはできなかったことに気づきました。

 著者はそのくらくらすることの理由を、じっくりと観察して突き止めることに成功したのです。著者は答えを、探しだしたのです。

 くらくらする理由は人それぞれで、わたしも新しくことばにして見つけられるかもしれません。次にすばらしいものに出会ったとき、なぜくらくらするのか、考えてみます。

 

「ほしいもの」を考えるのは、

おもしろいファンタジーを考えることですから。 

 

  このことばは、どういう意味なのでしょうか?

 ほしいものとは、お金や、可愛い、かっこいい恋人や、みんなに自慢できる会社に勤めているといったことではないのでしょうか。

 そうではないですよね。みんながみんな、同じものを欲しがっているわけじゃありません。

 誰もが頭の中で「ほしいもの」のことを考える時、想像力をつかいます。これが欲しいのかな、と想像して思い浮かべては消して、また思い浮かべては消して。その思い浮かべたものが、ファンタジーなんですね。

 本当にほしいものは、自分にとってとてもおもしろいものだから欲しいですよね?だから、「おもしろいファンタジーを考えること」なんですね。

 

「いい気になる」と、ろくなことがない。

でも、人間っていう生きものは、どうやらね、

「いい気になる」機会を求めているんですよねぇ。 

 

 このことばは、胸が痛くなります。

 わたしは少し気を抜くと、いい気になります。そんないい気になった自分が指をさされているように感じることばです。

 なのでこのことばは知っておいて良かった、って得した気分になることばです。わたしがこれから調子に乗って、またいい気になってしまった時に思い出してしまいそうはことばです。「あっ、そういえば、いい気になったらだめだったんだ。ろくなことがないんだ」って。

 

いつからか、ぼくは「まし」と別れました。

意識的に、「まし」ということでは決めない、

ということを決めたのです。

「まし」で決めるくらいなら、なにもしない。

それで差し支えは、いまのところ、まったくないです。

それどころか、「まし」で決めることをやめたせいで、

まったく別の角度からのアイディアや解決の道が、

すっと現れてくるようなことが、よくあります。 

 

 このことばも耳が痛くなります。

「まし」というのは、妥協だったり、ちょっとした怠けなんですよね。

 そして少しの諦めでもあると思います、「まし」って。どこかで「まし」を覚えてしまうと、ずっと「まし」を自分に許してしまいます。

 このことばを読んで、自分の中にいる「まし」の存在を思い出しました。

 ことばにされることで初めて、「まし」のすがたが見えるようになりました。

 

「人(=じぶん)がうれしいことって、どういうことか」

とにかくこればっかりを、しつこく考えることです。

逆の言い方でもいいんですよ、

「じぶん(=人)がうれしいことって、どういうことか」

たぶん、これがぼくらの最大で、唯一の仕事です。

 

 「これがぼくらの最大で、唯一の仕事」シンプルだけれど、気づくとおざなりにしてしまっているわたしたちの仕事のことが、ことばになってあらわれています。

 自分にとってうれしいこととはなんなのか、周りの人にとってうれしいこととはなんなのか。考えることをちょくちょくさぼっています。このことばを聞いて、思い出します。小さな子供のころは、とても素直に、うれしいものに対してまっすぐ向かっていく勇気と優しさがあったのに。

 

 大ざっぱに扱いがちな自分の心を、時々ちゃんと観察しないといけませんね。

 

 ところでしるこサンドのアイスがあるって知っていましたか?

 この前実家の近所にあるAEONで売っているのをわたしは見ました。ジョギング終わりに今度買って帰ります。

 

 ではではまた明日。

 

 

ナタリーはつぶやきの原料をつくっている

 

 こんにちは、こーひい子です。今日は暖かいですね。春になったらスーパーで売られている焼き芋がなくなってしまうのが残念です。自分でさつま芋をふかして食べればいいのでしょうが、それは焼き芋ではないし、わざわざ焼き芋機はいりません。ではでは本題です。

 

 「新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング」

                     コミックナタリー初代編集長 唐木元

 

 「ナタリー」をご存じでしょうか。

 わたしがナタリーを知ったきっかけは、映画版「モテキ」でした。主人公の幸世くんが働いていた会社です。映画版の「モテキ」、大好きで5回は観ました。

 「ナタリー」は音楽・マンガ・お笑い・映画・ステージのニュースメディアです。毎日沢山の記事を更新しており、月間約2000本を超える記事を配信しています。(運営会社ナターシャHP参照)

 

 この本には文章が上手くなるためのこつが書いてありました。

 けれども、そもそも良い文章ってどんなもののことをいうのでしょうか?

 本文を見てみましょう。

 ほんとうのことをいえば、良い文章とは何か、それは「時と場合による」ものです。しかし特に初心者のうちは、目指すべき状態をはっきりと見定め、迷いなく腕を磨いていく必要があります。

 

 どうしたら文章がうまくなるか悩んでいる方にまずお伝えしたいこと。「完読されるのが良い文章」と決めると突然視界がクリアになります。 

  完読、つまり文章を最後まで読んでもらうことが良い文章の条件のようです。

 もちろん書く文章の種類は人それぞれ目的によって違います。小説だったり、論文だったり、企画書だったり。しかしどの文章でも、自分の書いたものなら全て読んでもらいたいのは同じです。

 なのでこの本では最初の目標を、「完読されるのが良い文章」と定めています。

 

 使っている言葉が難しいものばかりだと読みづらいし、必要のない、世間話に近いことを延々と書かれていても退屈してしまいます。大切なのは、文章を読む相手の気持ちを想像する力です。想像力が鍛えられれば、相手が最後まで読んでくれる文章をつくることができます。けれど相手の気持ちを想像するのって、難しいですよね。

 どうしたら読者が最後まで読んでくれるのか、この本には具体的なコツが書いてありました。

 

 わたしが実際に参考にさせていただいた部分を紹介します。

 

 ①文章を書きはじめる前に構造シートをつくる

 

 構造シートとは簡単にいうと、これから書く文章の地図のことです。

 闇雲に書きはじめても、途中で次に何を書こうか迷って手が止まってしまったり、気付かないうちに文が主題から逸れてしまうことがあります。そんな失敗をなくすために、構造シートを事前に書くことが良い作戦のようです。

 

 構造シートをつくることの大切さが、ここに書いてあります。

 

 文章を書き始めてしまえば、構造シートなんて埋めているよりさっさと書き上がるような気がする。うまくいったらそうでしょう。しかし何本かに一本は、必ず迷い道に入ってしまう題材が出現するのです。15分で書けるはずが、気付けば4時間も5時間も過ぎている、なんてざらです。

 

  まだまだ文章を書くのに慣れていない時こそ、一つ一つ骨組みから丁寧につくったほうが確実なんですね。

 

約物を使いすぎている文章は、下品に見えてしまう。

 

 約物とは文字や数字以外の記号のこと。かっこの類いや、クエスチョンマーク、リーダ、ダーシ、中黒、忘れがちなところでスペースも約物です。 

  「」『』!?〜・←こんなマークたちのことです。本当ならこういった約物にも正しい用法があるのですが、今はそのルールを破って使っている人が多くいます。私もこの本を読むまでエクスクラメーション(!)をしょっちゅう使っていました・・・。反省。驚いたときや、勢いがあることを表現したいときに(!)を使ってはいけないわけではないのですが、できるなら言葉だけで驚きや勢いを表現したほうがいいです。安易に使わないよう工夫する努力をしたほうが技術も上がります。

 

 ナタリーは、批評のない記事を配信することによって、新たな主観を生みだしています。

 

 どういうことかというと、まずナタリーのメディアポリシーは「速い」「フラット」「ファン目線」と書いてあります。

 

 「速い」はどこよりも速く最新のニュースを届けること。

 「フラット」はどのニュースを扱うときも公平に、誰かの意見に肩入れしないこと。そして批判もしない。取り上げるニュースも選り好みしないこと。

 「ファン目線」は、売る側の欲望を叶えるのではなく、ファン側の気持ちに寄り添った文章を書くこと。なのでナタリーはゴシップを取り扱っていません。

 

 今はTwitterやブログがあって、誰もが自分の好みや意見を簡単にネット上で伝えることができます。そんななか、ナタリーはフラットな、読み手であるファンの気持ちを大切にし、意見を言わない、批評の書かれていない大量の記事を配信しました。

 そしてインターネットの中でなにが起こったかというと、ナタリーの記事を元に、たくさんの人が自分の意見をつぶやきはじめました。みんなナタリーの記事を引用し、自分の趣味を書き込むようになりました。

 ナタリーはみんなが自分の意見や気持ちを表現するための材料となり、ネット上でひろく拡散していきました。こんなことを書いていると、ナタリーのニュースが読みたくなってきますね。

  疑問なのは、恋してエッチな妄想をして泣いて走ってつぶやいて踊って悪態をついてラストは泥まみれになってキスしちゃうほどエモーショナルな「モテキ」の幸世くんに、ナタリーの社員は務まったのでしょうか・・・?

 

 ではではまた明日。

 

美しさと芸術、技術

 こんにちは、珈琲子です。今年はフジロック小沢健二さんとくるりが出演することを、昨日わたしは知りました。さあわたしの有休申請は通るのでしょうか。ではでは本題です。

 

 美学入門  ー 中井正一

 

 美学とは、なんなのでしょう。

 本文のこたえを確認するまえに、わたしの頭で考えた美学の定義は、自分が美しいと信じる、法則のことでした。

 本にはこう書いてあります。

美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考えたずねてゆくことが美学なのである。  ー本文より抜粋

 

 文のなかに芸術という言葉がでてきました。では、芸術とはなんなのでしょうか?

 わたしの考えた芸術の定義は、「この世界に必要はないけれど、あったほうがいいもの」です。

 本文にはこう書いてありました。

 人間が、ただ美しさそのもののみを求めて、新しい秩序を創造してみたいと考えはじめた時、ここに芸術の世界が創られて来るのである。ー本文より抜粋 

  美しさそのものを求めることのようです。

    しかし文字を追いながらわたしは疑問をもちました。絵と音楽、映画といった、芸術を表現するはずの作品が、一部は美しさを重視している作品ではないことです。社会に向けた明確なメッセージがストーリーに隠されていたり、観客の心を動かすことを最重視していたりする作品もあります。そういった作品は芸術的ではないのでしょうか?

 

 平和の大切さを強く訴える戦争映画は、映画を通して暗に観客に反戦を訴えています。観客へ言葉を投げかける、作品の外側を意識した映画です。

 エンターテイメント、つまり観る人を楽しませる作品も方向性は近いと思います。観客の人達を楽しませたりハラハラさせたり感動させたりするのだから、作品の外側、つまり実際に見る観客の人達のためにつくられている映画です。

 そして、そういった作品は芸術なのかどうか。まず、上の引用している文のように、著者は、芸術とは「美しさそのもののみを求めている」と書いています。美しさだけを求めているとするならば、観客の人達に伝えたいメッセージや、相手の反応を気にしたりはしないです。こちらにも書いてあります。

第二の意味では、彼は、その自分を、思う一杯探し求める自由な社会に生きていないのである。自分が食べるためには、また自分の舞に、鼓を打ったり、太鼓を打ったりしてくれる多くの人々と、その家族を食べさせるには、芸術としては、忍べかざる恥をも、忍ばなければならないようなことが起こるのである。馬鹿馬鹿しいと思うようなことしなければならない。ここに第二の不自由と、気の毒さがあるのである。  

 もちろん、メッセージのある映画や、エンターテイメントの要素がある映画が馬鹿馬鹿しいだなんてわたしは思わないです。ただ、この本でいうところの芸術とは違うようです。ここにも書いてあります。

 それは、練習に練習を重ねることで、鍛錬に鍛錬を積み重ねることでのみ、初めて宇宙の中に、本当の自分にめぐり逢うことが出来るのである。多くの人々は一度も本当の自分にめぐり逢わずに死んで行っているのである。芸術家だけは、それも、本当の、いい加減でない真の芸術家だけが、どんなに貧乏しても、本当の自分にめぐり逢って死んで行っているともいえるのである。

 

  芸術を追求していくことは、「本当の自分にめぐり逢う」ことだと書いています。そう考えると、芸術のために作品をつくるということは、外側にいる誰かのためのものではなく、つくりだしている自分自身を探しだす、鏡のようなものだと考えられます。少しはっきりとしない、抽象的な話になってきました。

 そしてそんな、見てくれるお客さんがいるかも分からない作品だと、売れない可能性があります。

 上の引用した部分にも書いてありますが、自分のつくった作品が売れなくて貧乏になってしまうこともよくあります。芸術家になったら、どんどん貧乏になってしまうのでしょうか?そうかもしれません。

 だけれど、美術館に行ったときに、よく分からないけれど綺麗!って思った作品はありませんか?あとは、なぜだか分からないけど、聴いた瞬間にとても良い!って音楽はありませんか?理由が分からなくても良い作品というものはあると思います。そして、綺麗事ではありますがそういった作品をつくること自体はお金にならなくても「無意味」ではありません。

 芸術家を目指していくっていうことは、貧乏になってしまう可能性もある、危険な道です。

  だけれど、生活していく、生きていくための方法を沢山考えればいいんです。芸術とは全く関係のない仕事をしながら家に帰って作品をつくったり、エンターテイメントの映画を撮りながら、自分のお金で、自分の思う芸術を追求した映画を撮ったり。自分の作品のファンが増えるように、YouTubeTwitterに投稿したり。芸術家を目指していない人と同じで、芸術を追求しながらお金を得る工夫と努力を繰り返せば、貧乏ではなくなる確率は上がります。

 わたしは、観客の人、聴く人のためにつくられたものではない、メッセージもない作品は、純粋だと思います。そういった作品には扇動やプロバガンダといったものはないですし、それに技術の高い作品には、外側に向けられてなくとも感動します。ただただ、その人の積み重ねてきた技術だけに心が動かされると思います。やっぱりそういう作品や作品をつくる人は、この世界で貴重だと思います。

 

 芸術家は、スポーツ選手に似ている部分があると思います。スポーツ選手は、練習して、記録や勝負と戦い、芸術家の人は、作品と戦っています。戦う相手は、結局外側ではなく、自分なんですね。

 

 ではではまた明日!

誰とも闘いたくないあなたに

 炭酸水が大好き、昨日も250mlの缶のものを5本飲んじゃった珈琲子です。ではでは。

 

 ナリワイつくる 人生を盗まれない働き方 ー伊藤洋志

 

 ナリワイとは、なんなのでしょうか。

 

 本に書いてある、ナリワイという言葉はどういう意味なのか。

本文を引用します。

個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、我が身につく仕事を「ナリワイ」と呼ぶ。                  ー本文より抜粋

 会社に就職して働くこととナリワイは、何が違うのでしょうか。

 はっきりとした違いそれは、会社で働く場合は会社から与えられた業務をこなすのが仕事です。一方ナリワイはというと、自分で仕事をつくることのようです。

 自分で仕事をつくるのって、大変そうに思います。

 私と同じように思い、ナリワイを持って生きている人はまだそんなに多くはなく、したくない仕事をしに会社に行っている人も多いです。

 そしてこの本は、そんな人達に、「ナリワイ」とはどうやってつくられていくのか、「ナリワイ」をつくるにあたってのコツのようなものが書かれています。

 

 確かにインターネットを検索すると、働きながら副業をしている人の記事をよく見ます。この「ナリワイ」というのは、その副業のことを指しているのでしょうか?

 どうやら少し違うようです。この本にはアフィリエイトせどりといった、インターネットで収入を得るための方法も、投資の方法も書いてありません。

 しかし会社で働きながら、自分のナリワイをつくっていくことも、著者は良しとしています。ただ、その副業は「もうすでにあるお金を得る仕組み」を活用することではなく、「自分の身の周りにある、小さな困ったことを解決し、それを仕事にしていく」ことのようです。それがナリワイみたいです。

 どういうことなのでしょうか。

 

 会社に就職すると、会社に求められているペースで、会社からやってほしいと与えられた業務をするのが仕事です。最近では残業時間を減らそうという国全体の雰囲気があるけれど、やっぱり定時に帰れない会社もあるし、そもそも自分にとって興味のない仕事をしている人もいると思います。

 そしてその会社で出世したいとか、自分のスキルを磨きたいとか、目的がある人はいいです。しかし会社に雇われてみんながみんな、会社の中で目標があるわけではないです。出世に興味がなく週末の予定を頭の隅で考えながら仕事をしている人は沢山いるし、この会社で働きつづけて、自分の人生はそれでいいのだろうか?と帰りの電車でスマホを見つめながら自問自答する人もいると思います。

 

最近よく、ワークライフバランスという言葉を聞きます。

「ワーク・ライフ・バランス(英: work–life balance)とは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す。           ーWikipediaより抜粋

 

  仕事だけではなく、自分の生活にも時間をとり、みんながそれぞれ充実した人生を送ることは大切です。自分の人生の時間をバランスよく使うこと、そしてそのバランスを試行錯誤することはとても重要です。けれども、この本でいう「ナリワイ」とは、そもそも仕事と生活を一体化させよう、という実験でもあるようです。

 

 仕事と生活の一体化とは、どういうことなのか。

 

 生活をしている時に困ったな、不便だな、と感じたり、お金がかかってできないことを自分ですること。些細な生活の「気づき」を、小さな仕事にしていくことです。

 

 本の中では著者が実践したナリワイの様々な例が紹介されています。

 一つ紹介します。普段外の居酒屋さんなんかで呑み会を開くと、安い居酒屋さんでも出費はかさみます。二軒目に行ってしまうと、酔っていて自制心が弱くなり、もっとお金を使ってしまいます。そんな問題に、著者はこう提案しています。

人が集まれる場所を自分でつくって、

料理が上手な友人に頼んで 

ご飯をつくってもらい、

友人を呼んでパーティを開く。

 

 この提案は、とても普通のことのように聞こえます。

 しかし、自由に使えるお金の多くを、呑み代に使い、給料日前になってお金がない、ないと言っている人はわたしの周りに沢山います。スーパーでお酒を買って家で呑んだほうがずっと安いのはみんな分かっているのに。

 もちろん外で呑んだり食事をしたりするのがとても好きな人は、お金の使い方に納得がいくのでいいと思います。ただ、外で呑む理由が、仲の良い友人と話したいということなら、みんなが集まれる場所をつくったほうが絶対にお金がかからないし、周りを気にせずゆっくり話せるので絶対にそっちのほうがいいです。

 このように、自分の生活の隅々に目を配って、無駄なものがないか、本当は自分が要らないと思っているものがないか探していきます。そしてそこから、自分の力で解決できる、小さくても周りが助かる、仕事にできるものがないか探していきます。どうやらそれが「ナリワイ」のようです

 

 この「ナリワイ」をつくって生活していく方法を、伊藤さんは非バトル(戦闘)タイプの人達に提案しています。

 

 非バトル(戦闘)タイプとは、どういった人達のことなのでしょうか?

 

 今はインターネットがあり、世界中の人と繋がりやすくなりました。グローバル化が進んでいると、よくニュースで言っています。つまり、仕事の上では闘う相手が世界中に増えたということでもあります。とても熾烈な競争の中でみんなが生き延びるのは大変です。

 仕事を闘うこととして捉えた場合、勝つぞ!と闘えるのがバトル(戦闘)タイプ。闘うのきらい、と闘う気がないのが非バトル(戦闘)タイプのようです。

 闘うのが嫌いな人たちのために、一つの新しい生き方として、この「ナリワイ」を著者は提案しています。自分の生活の些細なことから仕事をつくっていくことができたら、高額な準備資金も必要ないし、大きな収入を目的としていないからライバルも少ない。闘うことが苦手な人、つまり非バトル(戦闘)タイプの人に適した仕事の在り方です。

 確かに、自分で仕事をつくったら、上司のいないので、怒られたりすることもないからとてもいいですよね。

 

 たとえナリワイをつくらず、実践する必要がないな、と思った人でも、自分の生活の細かな点まで見つめなおすことは有意義です。自分の無駄な出費に気づきちょっとした節約になったりすることもあると思います。

 少し生活を小振りにするだけでも、自分の心持ちが楽になるかと思います。

 

 以上、また明日! 

マチネの終わりに

 こんにちは、珈琲子です。先週の土曜日に鶏刺しと生卵の親子丼を食べ、鶏好きには幸せな週末でした。では書評です。

 

「マチネの終わりに」 平野啓一郎

 

平野啓一郎さんの本は、「私とは何か-個人から分人へ」という、分人主義について書かれている本を読んだことがありますが、この本が初めて読む著者の小説です。

 

※感想を書きますが、ストーリーに触れているところもあるので、まだ読んでいなくてストーリーを知りたくない方は読まない方がいいかもです。

 

この小説は、クラシックギタリストとして活躍する蒔野という男性と、海外の通信社で働く、洋子という女性が登場します。そしてこの2人を主軸とした恋愛小説です。
私の周りにはいない、少し特殊な職業の2人。そしてなぜ蒔野と洋子が惹かれあったのか、読み進めながら、私はずっと考えていました。
無意識であったとしても、恋に落ちるその瞬間、相手に落ちる「何か」を持っているのはあくまでも自分です。自分の中の何かが相手に反応しているのだと思います。

蒔野の場合、洋子と出会ってから演奏にスランプが訪れます。そのスランプは元々潜伏していたもので、洋子という新しい存在によって表に出てきたのか、それとも洋子とは関係なしに表れたものなのか。どちらかは分かりません。ただ、蒔野が洋子と出会った時は、蒔野にとっては変化が必要な時期だったと思います。
洋子はどうでしょうか?私は、洋子は蒔野と出会わずそのままリチャードと結婚していても、幸福だったと思います。洋子には変化が必要のない時期でした。むしろイラクから帰ってきてからの洋子には、平穏な生活が必要だったと思います。
しかし洋子は、蒔野に出会う前に<ヴェニスに死す症候群>と父親に言われるような、イラクに行くという危険な行動を選択しています。これは、日常の生活から離れる、冒険ともいえます。
そして洋子は蒔野を愛するのと同じように、蒔野の音楽を愛していたと思います。私はこの、本人だけではなく本人の創作物を愛するところに、洋子の父親のことを思い出します。芸術家を愛しているのか、その人が創り出した作品を愛しているのか。芸術家を愛する方法を、蒔野に出会う前から洋子は知っていたのだと思います。

2人が恋に落ちる要素は、出会う前からお互いの中に生まれていたんだと思います。

人間は、他者と関わって生きていきます。そして関わる人間によって、見せる自分の側面が変わります。早苗と接する蒔野と、洋子と接する蒔野は違います。それは取り繕っているわけでもなく、ただ相手と上手く接するように適応した自分の一部なのです。祖父江と接する蒔野、武知と接する蒔野…。
洋子と蒔野の間に生まれた、「蒔野といる時の洋子」と「洋子といる時の蒔野」が、お互いの中で特別だったんだと思います。そして特別だから、生活という日常になることもできなかったのでは、と私は感じました。毎日は特別ではなく、つづいていく日常なのだから。
そして2人の未来は、誰にも分からない。だから、本当に愛しあっていた2人が一緒になれる未来もありうるのかもしれない。そう想像できる余韻を残してくれたことに、この小説の優しさを感じます。

 

私はKindle版で読みました。やっぱり小説は電車の中でもカフェでも読んでいる間、没頭できるのがいいですね。ぜひぜひ読んでみてくださいね。

 

                                                                         終わり

私たちが好きなことをするために、技術は進んでいる

 冬の真っ只中ですが、今日(2016/12/9・東京)は暖かい日差しがあっていいですね。こんにちは、珈琲子です。では本題です!

 

 「自分の時間を取り戻そうーゆとりも成功も手に入れられるたった一つの考え方」              ちきりん

 

 私はちきりんさんの本が大好きで、「マーケット感覚を見つけよう」も「自分のアタマで考えよう」も読みました。どの本もインターネット、人工知能などの技術で大きく変わっていく今の時代を、しっかりと生き抜いていくための方法が書かれています。

 そして「自分の力を取り戻そう」は、気づいたら忙しくなっていた私たちの生活の中で、自分の好きなことにあてられる時間を手にいれるための方法が書かれている本です。

 

 どうすれば、自分の望む時間の使い方ができるのでしょうか?

 

①自分のやりたいこと、好きなことを明確にする。そしてそのために自分の時間を使う。

 

 まず一番はじめにするのは、目標となる「自分のやりたいこと、好きなこと」を明確にすることだと思います。ここが曖昧だと、時間を短縮する努力をしなくなります。今は手に入れられていないけれど、もし時間があったらしたいことを紙に書いて明確にするべきです。英語の勉強時間を増やしたい、家族との時間を増やしたい、映画を週に1本は観たい。

 何をしたら自分の人生が豊かになるのか、このことを考えるのはとても重要だと思います。そしてこの答えを知っているのは自分自身だけです。一度そのことを一人きりで考えるのが大事だと思います。この「自分のやりたいこと、好きなこと」がこれからの目標地点となるので、まずここをしっかりと意識するのが大切です。

 私が考え、大切にしたいと気付いた時間は「英語、もしくは仕事をする上でスキルアップになる勉強をする時間」と「読書」でした。他にも休日、外国旅行に行く時間、舞台、美術館に行く時間が出てきました。

 

②自分が何に時間を費やしているか調べ、無駄な時間を省く

 自分の1日の生活を思い出し、どの時間を削ることができるのか探しだす作業です。先日発売が始まった「Amazon Dash Buttun(アマゾンダッシュボタン)」もそうなんですけれど、今は探せばいくらでも新しい便利なサービスがあります。ボタンを一回押すだけで商品が届く時代なんです。しかし新しいサービスを自分の生活に取り入れることの前提は「自分にとってメリットがあるかないか」だと思うので、新しいサービスを使うことによって自分が得をするか、そのことを冷静に見つめて生活に取り入れてほしいです。

 私は自分の1日の時間で、「食料品、生活雑貨をスーパーに買いに行く時間」を省きたいなと思い、定期お届け便についてインターネットで調べました。(ネットスーパー、宅配といった言葉で簡単に検索できます。)値段も今まで買っていた値段とほぼ変わらないので、食料品と日用品の買い物は宅配に切り替えます。これだけで週に一回か二回のスーパーの買い物の時間1〜2時間/日がなくなります。

 

③今ついている自分の仕事が機械にとって代わられる可能性を考え、自分の仕事をどう維持するか考える。

 

 「自分のやりたいこと、好きなこと」が仕事という人は多いと思います。私もそうです。でも、これから技術が発展していくことによって、私たちの仕事が失われる可能性は年々高くなっています。これに関しては、私は悲観的にも楽観的にもならず、しっかりと現実を見つめ今の自分に何ができるのかを考えて、かつ行動していくことが大切だと思います。

 今自分のしている仕事は機械が代わることができるのか?代わられないためにはどうすればいいのか?考えるのと同時に、インターネットで情報を集めることと、「自分にしかできない仕事」の範囲を拡げ、かつ強固にしていくことだと思います。機械ができないことは何かを、調べて行動しつづけるのです。私自身もまだまだ十分に準備はできていません。でも、いつか仕事を失ってしまうかもしれないという危機感を、忘れないようにしています。

 

 今自分の生活の中でできる、時間をつくる最適な方法は「無駄な時間を削る」ことと、「目的を明確にする」ことだと思います。自分の人生を豊かにするためにも、生活の見直しは大切です。そしてどんどん自分の時間を大切に扱っている人とそうでない人との差は開いていくと思います。30分でも、自分の時間を有意義なものに変えるべきです。

 「自分の時間を取り戻そう」はKindle版もあるので、ぜひぜひ読んでみてくださいね。

                                                               終わり

「生産性」をどう、私たちの生活に取りこむ?

 こんにちわ、珈琲子です。寒いです、冬ですね。冬は毎年自分のコートと中の服のバランスが変じゃないか、外出するといつも気になっちゃいます。さて本題ですね。

 

発売したばかりの本を 読みました。伊賀泰代さんの「生産性」。同じ著書の「採用基準」も以前に読みました。二冊とも、ターゲットとなっている方は働いている方、それもホワイトカラー、オフィスワークをしている方が主かと思います。けれどそうでない方(私含む)も、生活に取り入れられる、私達の生活の「生産性」を上げる方法が書かれています。

 

 ①自分の生活の中で、無駄な動きを探すため時間をはかる

 著者は本の中で、資料作成等にかかった時間をはかるよう新入社員の方にアドヴァイスしています。時間を可視化するのです。

 これを生活に応用し、夕食を作る時にかかった時間、1日の中でインターネットを見ている時間、テレビを見ている時間等自分の過ごす時間を一度はかってみると、自分がどこに時間を割いているのかが分かります。そしてそこから、自分が本当はどこに時間を割きたいのか考えるのです。そしてどの時間が自分にとって無駄(ここでいう無駄とは、自分が本来望んでいなかった時間の過ごし方です。)なのか確認し、10分、15分でも削ることです。そしてその削った時間を、自分の望む使い方に充てるのです。

 

②トップパフォーマーの潜在力を引き出す

 著者は、明らかに力の違う優秀な人を早くに昇進等させ、成長しやすい環境に配置することを推奨しています。

 私がこの件を読んだ時に思い浮かんだのは、「トップパフォーマーではない大多数の人」のことです。同じ仕事を同じタイミングで始めた人が何人かいても、1人圧倒的に能力の高い人間がいる状況は度々あります。その瞬間に居合わせた、トップパフォーマーではない私には何ができるのか?

 トップパフォーマーがどのように仕事をしているのか学びながら、自分の成長に生かすことです。

 人は持って生まれた能力、与えられた環境がそれぞれ違うので、平等はありえません。そして自分より優秀な人間に出会う機会は頻繁にあります。

 大切なのは、その時に自分と比較するのではなく、相手がどのような方法で課題と向き合っているのか、「研究」する目を持つことだと思います。なぜ成功したのか、直接訊ねる勇気が一番重要なのだと思います。

 そしてトップパフォーマーの人はどんどん成長していくべきです。なぜならトップパフォーマーの背中を見て、後を追う、成長を願う人が沢山でてくるから。トップパフォーマーは他の人に夢を与えていると思います。

 

 ③すぐに決断する、目的を明確にする

   何か物事を決める時の考える時間を省略する。著者は目的が明確ではない会議に対して、着地点を明確にするため目的を書いた方が良いと、書かれていました。意味のない時間、目的が明確ではない時間を減らすということですね。

 確かに、思い返すと実行するかしないか考える時間、行動を起こすまでの時間というのは長い気がします。実際のところ、実行して失うものなんてほとんど無いのに、悩むことに時間を費やすことが私も多々あります。

最近 、私は意味のない悩んでいる時間を減らすために、(ヨガスクールにこれから行くか行かないか、気になっている本を今買うか買わないか等)悩みそうになったらこう考えます。「二年後の自分が今の自分を見たら、どっちを選ぶ?」こう問いかけると、大体すぐに行動する方を選び、悩むことが終わります。(なんで二年後なんだろう?)多分この問いかけで、自分の状況を客観的に見つめられるようになるのだと思います。

 

 生活している全てのものに、目的を持たせているわけではないけれど、自分がやりたいと願っているものを実行するためにも、私達の生活の「生産性」を上げる必要があるんだな、と気付きました。「生産性」を上げるということは、「自分の時間を大切にする」ということと同じ意味です。大切なことに、自分の時間を使いたいと思います。

 

                                                                      終わり。