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koohiiko77の日記

感じたこと、伝えたいことを書いていきます。

美しさと芸術、技術

 こんにちは、珈琲子です。今年はフジロック小沢健二さんとくるりが出演することを、昨日わたしは知りました。さあわたしの有休申請は通るのでしょうか。ではでは本題です。

 

 美学入門  ー 中井正一

 

 美学とは、なんなのでしょう。

 本文のこたえを確認するまえに、わたしの頭で考えた美学の定義は、自分が美しいと信じる、法則のことでした。

 本にはこう書いてあります。

美しいこととは何であるか、芸術とは何であるかを考えたずねてゆくことが美学なのである。  ー本文より抜粋

 

 文のなかに芸術という言葉がでてきました。では、芸術とはなんなのでしょうか?

 わたしの考えた芸術の定義は、「この世界に必要はないけれど、あったほうがいいもの」です。

 本文にはこう書いてありました。

 人間が、ただ美しさそのもののみを求めて、新しい秩序を創造してみたいと考えはじめた時、ここに芸術の世界が創られて来るのである。ー本文より抜粋 

  美しさそのものを求めることのようです。

    しかし文字を追いながらわたしは疑問をもちました。絵と音楽、映画といった、芸術を表現するはずの作品が、一部は美しさを重視している作品ではないことです。社会に向けた明確なメッセージがストーリーに隠されていたり、観客の心を動かすことを最重視していたりする作品もあります。そういった作品は芸術的ではないのでしょうか?

 

 平和の大切さを強く訴える戦争映画は、映画を通して暗に観客に反戦を訴えています。観客へ言葉を投げかける、作品の外側を意識した映画です。

 エンターテイメント、つまり観る人を楽しませる作品も方向性は近いと思います。観客の人達を楽しませたりハラハラさせたり感動させたりするのだから、作品の外側、つまり実際に見る観客の人達のためにつくられている映画です。

 そして、そういった作品は芸術なのかどうか。まず、上の引用している文のように、著者は、芸術とは「美しさそのもののみを求めている」と書いています。美しさだけを求めているとするならば、観客の人達に伝えたいメッセージや、相手の反応を気にしたりはしないです。こちらにも書いてあります。

第二の意味では、彼は、その自分を、思う一杯探し求める自由な社会に生きていないのである。自分が食べるためには、また自分の舞に、鼓を打ったり、太鼓を打ったりしてくれる多くの人々と、その家族を食べさせるには、芸術としては、忍べかざる恥をも、忍ばなければならないようなことが起こるのである。馬鹿馬鹿しいと思うようなことしなければならない。ここに第二の不自由と、気の毒さがあるのである。  

 もちろん、メッセージのある映画や、エンターテイメントの要素がある映画が馬鹿馬鹿しいだなんてわたしは思わないです。ただ、この本でいうところの芸術とは違うようです。ここにも書いてあります。

 それは、練習に練習を重ねることで、鍛錬に鍛錬を積み重ねることでのみ、初めて宇宙の中に、本当の自分にめぐり逢うことが出来るのである。多くの人々は一度も本当の自分にめぐり逢わずに死んで行っているのである。芸術家だけは、それも、本当の、いい加減でない真の芸術家だけが、どんなに貧乏しても、本当の自分にめぐり逢って死んで行っているともいえるのである。

 

  芸術を追求していくことは、「本当の自分にめぐり逢う」ことだと書いています。そう考えると、芸術のために作品をつくるということは、外側にいる誰かのためのものではなく、つくりだしている自分自身を探しだす、鏡のようなものだと考えられます。少しはっきりとしない、抽象的な話になってきました。

 そしてそんな、見てくれるお客さんがいるかも分からない作品だと、売れない可能性があります。

 上の引用した部分にも書いてありますが、自分のつくった作品が売れなくて貧乏になってしまうこともよくあります。芸術家になったら、どんどん貧乏になってしまうのでしょうか?そうかもしれません。

 だけれど、美術館に行ったときに、よく分からないけれど綺麗!って思った作品はありませんか?あとは、なぜだか分からないけど、聴いた瞬間にとても良い!って音楽はありませんか?理由が分からなくても良い作品というものはあると思います。そして、綺麗事ではありますがそういった作品をつくること自体はお金にならなくても「無意味」ではありません。

 芸術家を目指していくっていうことは、貧乏になってしまう可能性もある、危険な道です。

  だけれど、生活していく、生きていくための方法を沢山考えればいいんです。芸術とは全く関係のない仕事をしながら家に帰って作品をつくったり、エンターテイメントの映画を撮りながら、自分のお金で、自分の思う芸術を追求した映画を撮ったり。自分の作品のファンが増えるように、YouTubeTwitterに投稿したり。芸術家を目指していない人と同じで、芸術を追求しながらお金を得る工夫と努力を繰り返せば、貧乏ではなくなる確率は上がります。

 わたしは、観客の人、聴く人のためにつくられたものではない、メッセージもない作品は、純粋だと思います。そういった作品には扇動やプロバガンダといったものはないですし、それに技術の高い作品には、外側に向けられてなくとも感動します。ただただ、その人の積み重ねてきた技術だけに心が動かされると思います。やっぱりそういう作品や作品をつくる人は、この世界で貴重だと思います。

 

 芸術家は、スポーツ選手に似ている部分があると思います。スポーツ選手は、練習して、記録や勝負と戦い、芸術家の人は、作品と戦っています。戦う相手は、結局外側ではなく、自分なんですね。

 

 ではではまた明日!