koohiiko77の日記

感じたこと、伝えたいことを書いていきます。

パイロットフィッシュの妻

 こんにちは、こーひい子です。ここのところ、また寒さが戻ってきましたね。わたしのパソコン、Macbook Airに触れる手の平の下の部分は、触れるまで暖房で暖まっていたのに、キーボードを打ち始めるとひんやりします。夏に手を置いた時はどんな感触だったのか、今は全く思いだせません。

 

 ではでは本題です。

 

 「そうか、もう君はいないのか」 ー城山三郎

 

 城山三郎さんをご存知でしょうか?

 正直にいうと、わたしはこの本が文庫として発売になり手に取るまで知りませんでした。その時期自分では多くの小説を読み、作家の方の名前はある程度は知っていると思っていました。けれど知りませんでした。

 城山三郎さんは経済小説を中心に書かれた小説家です。しかしこの本は小説ではなく、著者が亡くなった妻・容子さんについて書いている手記です。

 夫婦という形で誰かとずっと生きていくということは、そして時が経ち離れていくということは、一体どういうことなのでしょうか。

 

① 妖精が落ちてくる

 

 とまどって佇んでいると、オレンジ色がかった明るい赤のワンピースの娘がやって来た。くすんだ図書館の建物には不似合いな華やかさで、間違って、天から妖精が落ちて来た感じ

「あら、どうして今日お休みなんでしょう」

 小首をかしげた妖精に訊かれても、私にも答えようがないし、ずっとそこに立っているわけにもいかない。仕方なく、私は家へ戻ることに決めた。 

 

 著者の容子さんへの表現は素直で、愛が深いです。わたしの周りにいる男の人で、奥さんのことを「妖精」くらいに褒めている人は聞いたことがないです。照れているのか、男の人が女の人を褒めないこの国の空気のせいなのかは分からないですが。とにかく男の人は奥さんのことをあまり褒めないので、珍しいなぁと感じました。

 「妖精」と言いあらわした著者の気持ちを考えてみます。まずこの言葉はいなくなってしまった妻に知ってもらいたい、聞いてほしい言葉なのではないかと思います。著者は生きている間に、容子さんに向かって、声に出して「君はまるで妖精のようだ。」と伝えられていたのでしょうか?

 わたしは伝えられなかったから、文章にしたのではないかと想像します。後悔なく伝えることができていたならば、文章として書き出すことができるほどの気持ちも、著者の心の中には残っていなかったと思うから。

 もしくは伝えても伝えても、伝えたりなかったのかもしれません。

 伝えられなかったのが良いとか悪いとかそういったことは考えません。そこは個人の自由なので。ただ一緒に考えてほしいです。一緒にいる時に惜しみなく自分に愛を伝えてくれるのが良いのか、それとも離れたあとに自分のことを思い出し言葉を尽くしてくれるのがいいのか。どちらのほうが後悔が残らないか。

 どちらにしても、離れたしまったあとの悲しみは変わらないけれど。

 

② パイロットフィッシュという役割

 

 もともと私は慌て者というか、すでに何度も書いたように、せっかちな人間だが、それでいて、腰を上げるまでには、時間がかかる。人見知りをするし、出不精なせいもある。

 このため、容子で代行できることがあれば、まず容子にやらせた。つまり、彼女は私のパイロットフィッシュ役。

 

 パイロットフィッシュとはどういう意味でしょうか?

 

 熱帯魚などを水槽で飼育する際、先に水槽で飼育して目的の魚に適した環境を作り上げるために利用する魚。

                        ーWikipediaより引用 

  

 つまりは容子さんが著者の周りの環境をつくり上げてくれた、サポートしてくれたことの賛辞として、パイロットフィッシュという言葉を使っているんですね。

 今はもう奥さんにこの言葉を言うのは失礼にあたる時代です。自分の仕事もしっかりあって、旦那さんに収入面で依存することのない女の人が増えている時代です。

 時代によって人間関係の形も違い、周りに求められる能力も変わり、奥さんを褒める言葉も変わっていくんですね。

 私は本書でこのパイロットフィッシュのくだりを読んだ時、著者と容子さんが生きていた時代の「普通」について考えました。旦那さんは自分の家族を支えるために一所懸命外で働き、奥さんは家事や子育てを完璧にこなし、旦那さんに文句を言ってはいけないという暗黙の約束があった時代。

 強制されて抑えこまれていた制約は、時間が経てば無理がたたってほどけてしまうんですね。

 

③ 容子さんを亡くしてからの日々

  通夜も告別式もしない、してとしても出ない、出たとしても喪服は着ない。お墓は決めても、墓参りはしない。駄々児(だだっこ)のように、現実の母の死は拒絶し続けた。仏壇にも墓にも母はいない。父の心の中だけに存在していた。他人知らぬ、踏み入れられぬ形で。形式的にも、現実の出来事としても、母の死を捉えることは耐えられなかったのだろう。メモ魔の父の手帳には、〝その日″の空欄に、

「冴返る 青いシグナル 妻は逝く」

とだけ記されていた。

 

 上の文章は著者の次女、井上紀子さんが書かれたものです。

 著者は容子さんが亡くなったあと、うしなった悲しみに苦しみます。長い間人生を一緒に共有してきた人がいなくなるというのは、まるで自分の体の一部を持って行かれたような状態ではないでしょうか。

 うしなってしまった悲しみのなかにいる人に対して、周りのできることといえば、悲しみに浸っているその人を見守ることだけだと思います。その悲しみは誰も共有できないし、誰もその人に悲しまないほうがいい、前を向いたほうがいいなど言ってはいけないです。その人の悲しみは、その人にしか分からないんですから。

 

「そうか、もう君はいないのか」このタイトルからも、悲しみが伝わってきます。いると思っていたあの人を、気付いた時にはうしなっているなんて。

 

 それではまた明日。