koohiiko77の日記

感じたこと、伝えたいことを書いていきます。

いつでも愛が主要なテーマ

 こんにちは、こーひい子です。休日の朝起きてコンビニに朝食を買いに行くのがちょっとした楽しみです。「食べたい物をえらべる自由」が嬉しいんでしょうね。朝から鶏の唐揚げを買ったりもしてるので「これは朝食なのか?」と内省もしますが。

 ではでは本題です。

 

 「響宴」 – プラトーン

 

 プラトーンをご存知でしょうか。映画じゃないですよ。古代ギリシアの哲学者のプラトーンです。

 わたしはこの方のことを全く知りませんでした。今も哲学者ということ以外よく分かっていません。ただ、「哲学」という学問は、生活していくうちに自然と作りあげている定義やルールの見直といったものの参考となるので、わたしは時々読みます。時々読む程度なので、歴史を考慮して体系を立てて読んだりはしていませんが、その都度「あっ、そういう考え方もあるのね。」という気付きが得られます。

 

 ① 愛の神をどのように讃美するか

 

 本書では「愛の神(エロース)をどのように讃美するか」このようなテーマで宴が開かれます。

 

 エリュクシマコスが、愛の神(エロース)の賛美を、響宴の主題として提案した次第を。

 

 ねえ、詩人たちによって捧げられた祝歌や讃歌の類いを、愛の神(エロース)以外の他の神々は、もっているというのに、ところが、あれほども生れ古く、あれほども偉大なる愛の神(エロース)に対しては、これまで世に出た数多い詩人のうち、誰一人としていまだ讃辞を捧げたものがなかったというのだ!

 

 つまり、僕たち一人ひとりが、左から右へ順番に、愛の神(エロース)への讃辞を、それもできるかぎり美しく、語ってみては、というわけです。 

 

 というわけです。ほかの神さまを褒めたたえる詩などはあったのに、愛の神(エロース)にはなかったんです。塩を讃辞する書物さえ見つかったのに、愛の神(エロース)への讃辞がない。これがエリュクシマコスが響宴の主題にしたかった理由です。

 

 読みすすめていくうちに愛の神への讃辞は、「愛をどのように捉えるか。」という言葉に置き換えられることに気付きました。愛の神への讃辞については、どの言葉が良いのかわたしには分かりませんが、愛の話となったらグッと身近になるので言葉の意味を考えることができます。

 

 古い時代の本を読むうえでわたしが実践しているのが、今の時代のわたしが読んだらどんな教えが得られるのか、学びがあるのか。この考えを頭に置いて本を読んでいくkとです。

 その本の歴史やバックグラウンドを細かく調べるのは大変だと思うので、自分がいいな、参考になるなと感じる部分だけを探しだして掬いだすのも、読書の方法のうちの一つです。読みづらいなこの本と思ったら、読みやすくなるように自分の中で読書の決めごとをつくると以外とサクサク進みます。

 わたしは本によって読み方を変えています。プラトーンの歴史的背景も調べて読みはじめたりしたら、いつまで経っても次の本が読めないじゃないですか。

 

② 賛美の種類

 

 本書の中では、さまざまな愛の神(エロース)への賛美がおこなわれます。

 

 かくて、僕の主張はこうなのですー愛の神(エロース)は、神々のなかでも、もっとも齢(よわい)も高く、もっとも高い誉れをもち、また生者死者を問わず、人間を、徳と幸福の所有へ導く力を、すぐれてもちたもう神であると

 

 必ずしもすべての愛が美しいのでも、賛美をうけるに値するのでもなく、ただ美しい愛の行為へとかりたてる愛の神(エロース)のみが、美しく、また賛美に値するのである。

 

 この愛の神(エロース)は、最大の力を持ち、われわれ人間に幸福の一切を与え、またわれわれをして、人間同士の間においてのみでなく、さらにいっそうすぐれた神々とも交わり、親しき友ともなりうるよう、計らってくれるものなのです。

 

 愛する者のほうが愛される者よりも徳が高い。愛とは美しい行為をおこなうこと。愛は誰かを愛することだけではなく音楽、農耕学、医学などすべてに宿る者。愛とは離れてしまった自分の片割れを探すこと。愛とは自分が持っていないものを持っている者を愛するということ。

 

 たくさんの意見がでてきても、結論はありません。定義は人によってそれぞれ違うのですから当たり前です。

 「愛の神(エロース)をどのように讃辞するのか。」こんなテーマでお酒を呑むなんてこと、今では考えられません。愛よりも、話しあったほうがいいものが増えてしまったからでしょうか。それとも愛というものも、科学や行動心理学が入り込み、「議論するもの」ではなく、「解明する」ものになったからでしょうか。

 

 好きな言葉を紹介します。

 愛とは、善きものが、永久にわが身のものになることを、目的としているのです

 

 「善きものが永久にわが身のものになる。」この言葉が現実でどのような状態になれば達成されるのでしょうか。 

 

 善きもの。私は善きものとは「精神の安定」だと思っています。自分の精神が安定していれば生活もうまくいくし、周りにいる人を大切にすることができます。私にとって、善きもの=精神の安定=静かで穏やかな生活=善きものなんですよね。なんだ、深層心理診断か?

 

 善きものという言葉の定義を自分の中でかっちり決めてしまうのは良くないですが、善きものという言葉を聞いた時に何が思い浮かぶのか把握しておくと、自分のなかの指針のようなものが見えますよね。

 

 明日の朝もローソンのからあげ君が欲しくなってしまいそうです。からあげ君は私の善きものです。

 

 それではまた次の機会に。