koohiiko77の日記

感じたこと、伝えたいことを書いていきます。

寛容さが必要になるとき

人と関わりあっていくなかで一度手痛く傷つく経験をすると、人に対して不寛容になってしまう時期がある。私の場合はそれが去年から今まで、約1年間つづいた。長かった。

傷ついたあと、どうやってまた人に対して寛容になれるのか

去年あった傷ついた経験を思い出すと、原因が相手だけにあるわけではなく、自分にもあったことが分かる。本当はその出来事が起きた直後から気付いていたけれど、その時はつらいと言い訳をして自己責任から逃げていた。認めたらやっていけない、と去年は思っていた。

 

自分が人から傷つけられたと感じると、自分を守るために固い殻を被るようになる。そしてその殻が自分から人を遠ざけるようになり、自然と私は孤立するようになった。そして孤立した自分の状態を把握して不安定になり、家で一人で泣いたりしていた。何やってんだか、もう。

 

それでも新しく人間関係を築こうとはしばらく思えないでいた。怖かったのもあるし、自分のことを惨めだと感じていたことも大きい。この年になっても安定した人間関係を育めていなかった自分が情けなかった。人に対して信頼感を持てないでいる自分が情けなかったのだ。

 

今はちゃんと怖がらずに向き合っていきたいと思える人がいる。その人は私とよく似ていて、臆病な人だ。その人から自分が逃げようと思えなかったのは、とても自分と似ていたからだ。この人から逃げることは自分から逃げることなのだと、その人と話しながら理解した。

寛容にならなければいけない時は勝手にやってくる

こればっかりは自分の決めたタイミングではやってこないのだと思う。私はそうではなかった。この人とちゃんとした信頼関係を築いていくことが自分に与えられた宿題なのだと、その人と話している時に分かった。そしてその宿題は、今までずっと自分がさぼりつづけて逃げていた宿題なのだ。他の人に比べてスタートはとても遅いけれど、もう始めないといけない。

 

社会ぜんたいが寛容さを失っている、というネットニュースを今日見たけれど、寛容さがなくても生きていける時代なのだと思う。人と向き合わず、仕事をして生活をしていくことは可能だ。けれど、どこかで宿題はやってくる。逃げつづけることはできない。

 

人と向きあう大きな覚悟がなかった自分を、今私は省みて、改めて情けないな、と感じる。そして覚悟を決める。覚悟を決めないと、進めない局面がやってきたのだ。そして以前は進めなかったその道を、今度はちゃんと進みたい。

 

特定の誰かに対して寛容であるということは、誰かの人生の一部を背負うことでもある。背負った重さに負けないようにして、歩きたい。