誰とも闘いたくないあなたに
炭酸水が大好き、昨日も250mlの缶のものを5本飲んじゃった珈琲子です。ではでは。
ナリワイつくる 人生を盗まれない働き方 ー伊藤洋志
ナリワイとは、なんなのでしょうか。
本に書いてある、ナリワイという言葉はどういう意味なのか。
本文を引用します。
個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、我が身につく仕事を「ナリワイ」と呼ぶ。 ー本文より抜粋
会社に就職して働くこととナリワイは、何が違うのでしょうか。
はっきりとした違いそれは、会社で働く場合は会社から与えられた業務をこなすのが仕事です。一方ナリワイはというと、自分で仕事をつくることのようです。
自分で仕事をつくるのって、大変そうに思います。
私と同じように思い、ナリワイを持って生きている人はまだそんなに多くはなく、したくない仕事をしに会社に行っている人も多いです。
そしてこの本は、そんな人達に、「ナリワイ」とはどうやってつくられていくのか、「ナリワイ」をつくるにあたってのコツのようなものが書かれています。
確かにインターネットを検索すると、働きながら副業をしている人の記事をよく見ます。この「ナリワイ」というのは、その副業のことを指しているのでしょうか?
どうやら少し違うようです。この本にはアフィリエイトやせどりといった、インターネットで収入を得るための方法も、投資の方法も書いてありません。
しかし会社で働きながら、自分のナリワイをつくっていくことも、著者は良しとしています。ただ、その副業は「もうすでにあるお金を得る仕組み」を活用することではなく、「自分の身の周りにある、小さな困ったことを解決し、それを仕事にしていく」ことのようです。それがナリワイみたいです。
どういうことなのでしょうか。
会社に就職すると、会社に求められているペースで、会社からやってほしいと与えられた業務をするのが仕事です。最近では残業時間を減らそうという国全体の雰囲気があるけれど、やっぱり定時に帰れない会社もあるし、そもそも自分にとって興味のない仕事をしている人もいると思います。
そしてその会社で出世したいとか、自分のスキルを磨きたいとか、目的がある人はいいです。しかし会社に雇われてみんながみんな、会社の中で目標があるわけではないです。出世に興味がなく週末の予定を頭の隅で考えながら仕事をしている人は沢山いるし、この会社で働きつづけて、自分の人生はそれでいいのだろうか?と帰りの電車でスマホを見つめながら自問自答する人もいると思います。
最近よく、ワークライフバランスという言葉を聞きます。
「ワーク・ライフ・バランス(英: work–life balance)とは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す。 ーWikipediaより抜粋
仕事だけではなく、自分の生活にも時間をとり、みんながそれぞれ充実した人生を送ることは大切です。自分の人生の時間をバランスよく使うこと、そしてそのバランスを試行錯誤することはとても重要です。けれども、この本でいう「ナリワイ」とは、そもそも仕事と生活を一体化させよう、という実験でもあるようです。
仕事と生活の一体化とは、どういうことなのか。
生活をしている時に困ったな、不便だな、と感じたり、お金がかかってできないことを自分ですること。些細な生活の「気づき」を、小さな仕事にしていくことです。
本の中では著者が実践したナリワイの様々な例が紹介されています。
一つ紹介します。普段外の居酒屋さんなんかで呑み会を開くと、安い居酒屋さんでも出費はかさみます。二軒目に行ってしまうと、酔っていて自制心が弱くなり、もっとお金を使ってしまいます。そんな問題に、著者はこう提案しています。
人が集まれる場所を自分でつくって、
料理が上手な友人に頼んで
ご飯をつくってもらい、
友人を呼んでパーティを開く。
この提案は、とても普通のことのように聞こえます。
しかし、自由に使えるお金の多くを、呑み代に使い、給料日前になってお金がない、ないと言っている人はわたしの周りに沢山います。スーパーでお酒を買って家で呑んだほうがずっと安いのはみんな分かっているのに。
もちろん外で呑んだり食事をしたりするのがとても好きな人は、お金の使い方に納得がいくのでいいと思います。ただ、外で呑む理由が、仲の良い友人と話したいということなら、みんなが集まれる場所をつくったほうが絶対にお金がかからないし、周りを気にせずゆっくり話せるので絶対にそっちのほうがいいです。
このように、自分の生活の隅々に目を配って、無駄なものがないか、本当は自分が要らないと思っているものがないか探していきます。そしてそこから、自分の力で解決できる、小さくても周りが助かる、仕事にできるものがないか探していきます。どうやらそれが「ナリワイ」のようです。
この「ナリワイ」をつくって生活していく方法を、伊藤さんは非バトル(戦闘)タイプの人達に提案しています。
非バトル(戦闘)タイプとは、どういった人達のことなのでしょうか?
今はインターネットがあり、世界中の人と繋がりやすくなりました。グローバル化が進んでいると、よくニュースで言っています。つまり、仕事の上では闘う相手が世界中に増えたということでもあります。とても熾烈な競争の中でみんなが生き延びるのは大変です。
仕事を闘うこととして捉えた場合、勝つぞ!と闘えるのがバトル(戦闘)タイプ。闘うのきらい、と闘う気がないのが非バトル(戦闘)タイプのようです。
闘うのが嫌いな人たちのために、一つの新しい生き方として、この「ナリワイ」を著者は提案しています。自分の生活の些細なことから仕事をつくっていくことができたら、高額な準備資金も必要ないし、大きな収入を目的としていないからライバルも少ない。闘うことが苦手な人、つまり非バトル(戦闘)タイプの人に適した仕事の在り方です。
確かに、自分で仕事をつくったら、上司のいないので、怒られたりすることもないからとてもいいですよね。
たとえナリワイをつくらず、実践する必要がないな、と思った人でも、自分の生活の細かな点まで見つめなおすことは有意義です。自分の無駄な出費に気づきちょっとした節約になったりすることもあると思います。
少し生活を小振りにするだけでも、自分の心持ちが楽になるかと思います。
以上、また明日!
マチネの終わりに
こんにちは、珈琲子です。先週の土曜日に鶏刺しと生卵の親子丼を食べ、鶏好きには幸せな週末でした。では書評です。
「マチネの終わりに」 平野啓一郎
平野啓一郎さんの本は、「私とは何か-個人から分人へ」という、分人主義について書かれている本を読んだことがありますが、この本が初めて読む著者の小説です。
※感想を書きますが、ストーリーに触れているところもあるので、まだ読んでいなくてストーリーを知りたくない方は読まない方がいいかもです。
この小説は、クラシックギタリストとして活躍する蒔野という男性と、海外の通信社で働く、洋子という女性が登場します。そしてこの2人を主軸とした恋愛小説です。
私の周りにはいない、少し特殊な職業の2人。そしてなぜ蒔野と洋子が惹かれあったのか、読み進めながら、私はずっと考えていました。
無意識であったとしても、恋に落ちるその瞬間、相手に落ちる「何か」を持っているのはあくまでも自分です。自分の中の何かが相手に反応しているのだと思います。
蒔野の場合、洋子と出会ってから演奏にスランプが訪れます。そのスランプは元々潜伏していたもので、洋子という新しい存在によって表に出てきたのか、それとも洋子とは関係なしに表れたものなのか。どちらかは分かりません。ただ、蒔野が洋子と出会った時は、蒔野にとっては変化が必要な時期だったと思います。
洋子はどうでしょうか?私は、洋子は蒔野と出会わずそのままリチャードと結婚していても、幸福だったと思います。洋子には変化が必要のない時期でした。むしろイラクから帰ってきてからの洋子には、平穏な生活が必要だったと思います。
しかし洋子は、蒔野に出会う前に<ヴェニスに死す症候群>と父親に言われるような、イラクに行くという危険な行動を選択しています。これは、日常の生活から離れる、冒険ともいえます。
そして洋子は蒔野を愛するのと同じように、蒔野の音楽を愛していたと思います。私はこの、本人だけではなく本人の創作物を愛するところに、洋子の父親のことを思い出します。芸術家を愛しているのか、その人が創り出した作品を愛しているのか。芸術家を愛する方法を、蒔野に出会う前から洋子は知っていたのだと思います。
2人が恋に落ちる要素は、出会う前からお互いの中に生まれていたんだと思います。
人間は、他者と関わって生きていきます。そして関わる人間によって、見せる自分の側面が変わります。早苗と接する蒔野と、洋子と接する蒔野は違います。それは取り繕っているわけでもなく、ただ相手と上手く接するように適応した自分の一部なのです。祖父江と接する蒔野、武知と接する蒔野…。
洋子と蒔野の間に生まれた、「蒔野といる時の洋子」と「洋子といる時の蒔野」が、お互いの中で特別だったんだと思います。そして特別だから、生活という日常になることもできなかったのでは、と私は感じました。毎日は特別ではなく、つづいていく日常なのだから。
そして2人の未来は、誰にも分からない。だから、本当に愛しあっていた2人が一緒になれる未来もありうるのかもしれない。そう想像できる余韻を残してくれたことに、この小説の優しさを感じます。
私はKindle版で読みました。やっぱり小説は電車の中でもカフェでも読んでいる間、没頭できるのがいいですね。ぜひぜひ読んでみてくださいね。
終わり
私たちが好きなことをするために、技術は進んでいる
冬の真っ只中ですが、今日(2016/12/9・東京)は暖かい日差しがあっていいですね。こんにちは、珈琲子です。では本題です!
「自分の時間を取り戻そうーゆとりも成功も手に入れられるたった一つの考え方」 ちきりん
私はちきりんさんの本が大好きで、「マーケット感覚を見つけよう」も「自分のアタマで考えよう」も読みました。どの本もインターネット、人工知能などの技術で大きく変わっていく今の時代を、しっかりと生き抜いていくための方法が書かれています。
そして「自分の力を取り戻そう」は、気づいたら忙しくなっていた私たちの生活の中で、自分の好きなことにあてられる時間を手にいれるための方法が書かれている本です。
どうすれば、自分の望む時間の使い方ができるのでしょうか?
①自分のやりたいこと、好きなことを明確にする。そしてそのために自分の時間を使う。
まず一番はじめにするのは、目標となる「自分のやりたいこと、好きなこと」を明確にすることだと思います。ここが曖昧だと、時間を短縮する努力をしなくなります。今は手に入れられていないけれど、もし時間があったらしたいことを紙に書いて明確にするべきです。英語の勉強時間を増やしたい、家族との時間を増やしたい、映画を週に1本は観たい。
何をしたら自分の人生が豊かになるのか、このことを考えるのはとても重要だと思います。そしてこの答えを知っているのは自分自身だけです。一度そのことを一人きりで考えるのが大事だと思います。この「自分のやりたいこと、好きなこと」がこれからの目標地点となるので、まずここをしっかりと意識するのが大切です。
私が考え、大切にしたいと気付いた時間は「英語、もしくは仕事をする上でスキルアップになる勉強をする時間」と「読書」でした。他にも休日、外国旅行に行く時間、舞台、美術館に行く時間が出てきました。
②自分が何に時間を費やしているか調べ、無駄な時間を省く
自分の1日の生活を思い出し、どの時間を削ることができるのか探しだす作業です。先日発売が始まった「Amazon Dash Buttun(アマゾンダッシュボタン)」もそうなんですけれど、今は探せばいくらでも新しい便利なサービスがあります。ボタンを一回押すだけで商品が届く時代なんです。しかし新しいサービスを自分の生活に取り入れることの前提は「自分にとってメリットがあるかないか」だと思うので、新しいサービスを使うことによって自分が得をするか、そのことを冷静に見つめて生活に取り入れてほしいです。
私は自分の1日の時間で、「食料品、生活雑貨をスーパーに買いに行く時間」を省きたいなと思い、定期お届け便についてインターネットで調べました。(ネットスーパー、宅配といった言葉で簡単に検索できます。)値段も今まで買っていた値段とほぼ変わらないので、食料品と日用品の買い物は宅配に切り替えます。これだけで週に一回か二回のスーパーの買い物の時間1〜2時間/日がなくなります。
③今ついている自分の仕事が機械にとって代わられる可能性を考え、自分の仕事をどう維持するか考える。
「自分のやりたいこと、好きなこと」が仕事という人は多いと思います。私もそうです。でも、これから技術が発展していくことによって、私たちの仕事が失われる可能性は年々高くなっています。これに関しては、私は悲観的にも楽観的にもならず、しっかりと現実を見つめ今の自分に何ができるのかを考えて、かつ行動していくことが大切だと思います。
今自分のしている仕事は機械が代わることができるのか?代わられないためにはどうすればいいのか?考えるのと同時に、インターネットで情報を集めることと、「自分にしかできない仕事」の範囲を拡げ、かつ強固にしていくことだと思います。機械ができないことは何かを、調べて行動しつづけるのです。私自身もまだまだ十分に準備はできていません。でも、いつか仕事を失ってしまうかもしれないという危機感を、忘れないようにしています。
今自分の生活の中でできる、時間をつくる最適な方法は「無駄な時間を削る」ことと、「目的を明確にする」ことだと思います。自分の人生を豊かにするためにも、生活の見直しは大切です。そしてどんどん自分の時間を大切に扱っている人とそうでない人との差は開いていくと思います。30分でも、自分の時間を有意義なものに変えるべきです。
「自分の時間を取り戻そう」はKindle版もあるので、ぜひぜひ読んでみてくださいね。
終わり
「生産性」をどう、私たちの生活に取りこむ?
こんにちわ、珈琲子です。寒いです、冬ですね。冬は毎年自分のコートと中の服のバランスが変じゃないか、外出するといつも気になっちゃいます。さて本題ですね。
発売したばかりの本を 読みました。伊賀泰代さんの「生産性」。同じ著書の「採用基準」も以前に読みました。二冊とも、ターゲットとなっている方は働いている方、それもホワイトカラー、オフィスワークをしている方が主かと思います。けれどそうでない方(私含む)も、生活に取り入れられる、私達の生活の「生産性」を上げる方法が書かれています。
①自分の生活の中で、無駄な動きを探すため時間をはかる
著者は本の中で、資料作成等にかかった時間をはかるよう新入社員の方にアドヴァイスしています。時間を可視化するのです。
これを生活に応用し、夕食を作る時にかかった時間、1日の中でインターネットを見ている時間、テレビを見ている時間等自分の過ごす時間を一度はかってみると、自分がどこに時間を割いているのかが分かります。そしてそこから、自分が本当はどこに時間を割きたいのか考えるのです。そしてどの時間が自分にとって無駄(ここでいう無駄とは、自分が本来望んでいなかった時間の過ごし方です。)なのか確認し、10分、15分でも削ることです。そしてその削った時間を、自分の望む使い方に充てるのです。
②トップパフォーマーの潜在力を引き出す
著者は、明らかに力の違う優秀な人を早くに昇進等させ、成長しやすい環境に配置することを推奨しています。
私がこの件を読んだ時に思い浮かんだのは、「トップパフォーマーではない大多数の人」のことです。同じ仕事を同じタイミングで始めた人が何人かいても、1人圧倒的に能力の高い人間がいる状況は度々あります。その瞬間に居合わせた、トップパフォーマーではない私には何ができるのか?
トップパフォーマーがどのように仕事をしているのか学びながら、自分の成長に生かすことです。
人は持って生まれた能力、与えられた環境がそれぞれ違うので、平等はありえません。そして自分より優秀な人間に出会う機会は頻繁にあります。
大切なのは、その時に自分と比較するのではなく、相手がどのような方法で課題と向き合っているのか、「研究」する目を持つことだと思います。なぜ成功したのか、直接訊ねる勇気が一番重要なのだと思います。
そしてトップパフォーマーの人はどんどん成長していくべきです。なぜならトップパフォーマーの背中を見て、後を追う、成長を願う人が沢山でてくるから。トップパフォーマーは他の人に夢を与えていると思います。
③すぐに決断する、目的を明確にする
何か物事を決める時の考える時間を省略する。著者は目的が明確ではない会議に対して、着地点を明確にするため目的を書いた方が良いと、書かれていました。意味のない時間、目的が明確ではない時間を減らすということですね。
確かに、思い返すと実行するかしないか考える時間、行動を起こすまでの時間というのは長い気がします。実際のところ、実行して失うものなんてほとんど無いのに、悩むことに時間を費やすことが私も多々あります。
最近 、私は意味のない悩んでいる時間を減らすために、(ヨガスクールにこれから行くか行かないか、気になっている本を今買うか買わないか等)悩みそうになったらこう考えます。「二年後の自分が今の自分を見たら、どっちを選ぶ?」こう問いかけると、大体すぐに行動する方を選び、悩むことが終わります。(なんで二年後なんだろう?)多分この問いかけで、自分の状況を客観的に見つめられるようになるのだと思います。
生活している全てのものに、目的を持たせているわけではないけれど、自分がやりたいと願っているものを実行するためにも、私達の生活の「生産性」を上げる必要があるんだな、と気付きました。「生産性」を上げるということは、「自分の時間を大切にする」ということと同じ意味です。大切なことに、自分の時間を使いたいと思います。
終わり。
初めましてと、「この世界の片隅に」
初めまして、珈琲子です。これから気になった本、気になる映画等自分の感性に触れたものについて書いていきたいと思います、よろしくお願いします!
はじめの感想は、映画「この世界の片隅に」です。
糸井重里さんがtwitterでお勧めしているのを見て、昨日観に行きました。まず、見終わったあとに誰かに薦めたい気持ちがすごく分かりました。それは映画が良い、悪いの前にストーリー、映像ともに濃厚で、インパクトが強いからです。二時間強で得られるこの映画からの情報は、間違いなく有意義なものです。良い悪いの前にまず観に行って!二時間後悔しないから!と強く人に言いたくなります。どの人がこの映画のために一日の二時間を失っても、損はないと、自信持って薦められます。
以下、ネタバレはせずに感想を書きます。
主人公すずは18で広島の呉に嫁ぎ、そこから第二次世界大戦の日常へと入っていきます。周りの男の人達はどんどん徴兵されていき、食べ物の配給も少なくなってきます。すずの「普通」の生活が、「戦争」という大きな力によって、無理やり変えられていきます。
まず、この映画の映像に幅を持たせているのは、「すずの想像力」です。すずは小さな頃から絵を描くのが好きで、頭の中に浮かぶ想像の世界を現実の紙に書きだしていきます。そしてアニメーションに作られているこの映画では、たびたびすずの「想像の世界」が入り込み、現実の世界と映像の中で融合します。アニメーションの持つ「非現実的な映像」を表現するという特性はこの作品でも生かされており、残酷な現実の中で、すずの想像力がすず自身を救い、すずの周りの人間を残酷な現実から救います。
この映画からすくい取れるポジティブなメッセージは、「何事も楽しもうと努力すること」です。
絵を描くのが好きなすずの行動は、小さな子供のように無邪気で彼女の中の想像力を駆使しています。蟻に砂糖を食べられないように置き場所を考えたり、配給の少ない時代のため、食べられなくなってしまった食べ物を絵に描いてあげたり。現実の世界がどんどん厳しいものになっていっても、彼女の頭の中は豊かなままで、厳しい現実に負けないように、彼女は知恵と想像力で生活を楽しみます。すずの周りの家族もそうです。楽しむことで、戦争という暴力に、気付いていないようなふりをして抗います。誰も傷つけたりはせずに、抗います。
たとえどんなに反対しても、努力をしたとしても、すずが戦争を止められるとは思えません。
現実に起きた出来事には、自分で変えることができるものと変えることができないものがあると思います。この映画での「戦争」は後者です。この時代の女性で、教育を受ける環境も整っていない中で、すずがこの「戦争」という大きな現実を変えることは不可能です。
でも今、自分にできることをする。全力でする。すずは自分ができることを、全力でやっていたと思います。
そしてすずは、いつも誰かを自然に助けようとします。不意にやってきてしまった鳥も自分の命を顧みずに別の場所へ行くよう叫び、身寄りを失った子にも、何でもないように接します。誰がいつ死ぬか分からない状況だからこそ、助け合うということが、とても大切なことなのだと思いました。家族をつくるのもそうです。一人では生きていけないから、共同体をつくって、支え合うんです。「生きる」ことが目的なんだと、思いました。
どうしたって自分の力では抗えない大きな力が自分に降りかかった時に、私達にできるのは、「自分が持っている全力を出しきること」これしかないと私は思います。受け入れることしかできない現実もあります。それでも「絶望しない努力」が大事なんだと思います。
まだ映画館でやっているようなので、ぜひぜひ観に行ってくださいね!